20240127「人生の4半期を終える今」

ブログというか、最近考えていることの記録。

最近の私、興味があること、転職活動、これからのこと、とか。

 

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年度末に現職を辞めることが決まり、これからのことをうっすら考えつつ、もう1年以上を過ごす狭いレオパレスの中で、晴れているのに引きこもりながら、ぼーっと珈琲を啜る。

 

ビジネスとか、そういうのじゃなくて、純粋に人の役に立つ仕事がしたくて、この仕事を選んだ。

他にも、海外に行けるダイナミックさとか、今まで生活したことない環境への憧れとか、いろいろあったけど、軸は「人の役に立ちたい」だった。デカレンジャーみたいになりたかった。

 

退職したいという気持ちは、常にあった。

よくわからないけどしばかれた時、よくわからないけど職場に残らなきゃいけない時、理不尽なことを言われた時、雨の中泥だらけになって訓練した時、家に帰れない時、大好きな人に会えない時。

でも、やりたくて始めたことだから、とりあえず3年は頑張ろうと思っていた。

思ったより時間が過ぎるのは速くて、濃密な3年は気づいたら終わりに近づいた。

 

私は結局、我が強過ぎるのかもしれない。

この仕事をする中で、何か窮屈さ、退屈さ、縛られたくなさがあって、それに我慢できなくなったのだ。それで、もう終わりにしたいと、思ったわけだ。

人の役に立ちたい気持ちは変わらないし、やりがいもあった。

この仕事を続けている先輩や上司を尊敬するし、かっこいいと思う。

我が儘な私には、ちょっと合わなかっただけなのだ。3年間を後悔することはない、今後も。

 

退職を上司に相談したときは、反応は様々だった。

でも、結局みんな言ってくれたのは、「自分の人生だから」ということ。

 

私は、自分の人生を、どうしたいのだろうか。

そんな問いはずっと前から考えてきたわけで、新しい問いではない。

ただ、25歳になる今。100年時代を生きる私たちの、人生の四半期を終える今。

これから残りの4分の3を考える今。そういう節目なのである。

 

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喜びが、繋がりが、瞬間を分かち合える場が、好きだ。

酒場が好きなのはそんな理由だ。

楽しさを分かち合うあの乾杯の瞬間。誰かが作った温かくて美味しい料理。

だんだん陽気になっていく仲間。胸中を打ち明けて、ぐっと距離が近くなる。

たまに新しい人に出会い、そこからまた思い出が作られる。

その繋がりが人生に影響を及ぼすきっかけになることもある。

たまに失敗をして人生をめちゃくちゃにする人もいるが、それを支える人もいて。

居酒屋も、バーも、スナックも、パブも。

お酒と仲間さえいれば、公園だって、酒場になる。全部好きだ。

 

 

コミュニティが好きだ。

いろんな人がいる、そんな場所が、空間が好きだ。

子供も好きだし、おじいちゃんと話すのも好きだし、想像もつかないような仕事をしている大人とか、いろんな特性を持っている人とか、十人十色のバックグラウンドとか。

そういうコミュニティに助けられてもきた。みんなが安心できる場所が好きだ。

いつもの、あそこ。いつもの、みんな。

そこに新しい仲間が加って、また旅立っていく。出会いと別れが、好きだ。

人に直接関わることというより、そういう場が好きなんだろう。

 

 

他にも関心分野はいくつかある。

教育(子ども)、経営、福祉、海外、旅、なんか、そういうの。

関心を持つようになった経緯はそれぞれある。経緯があるから大事なんだ。

 

つまり、人生残り4分の3を使って、これらと関わっていきたいと思っている。

 

私の描きたい人生は、週40時間とプラスの時間を会社で過ごして定年まで過ごして、老後にゆったり好きなことをやる、というのではない。自分が関心を持っていることに関わって、時間を過ごしていく人生を送りたいのだ。(生意気だと思う!)

 

私はいつも「自分で仕事をしたい」と言ってしまうのだが、よく誤解されてしまう。

「自分で仕事をしたい」というのは、私にとって、ビジネスチャンスに向けてチャレンジして自分の力で事業を回していきたい!というのとは違うのだ。

自分の関心のある分野で、自分なりのやり方で、生計を立てたいのだ。既存のやり方やロールモデルがパッと思いつかないし、職業としては成りたたないだろうから、そういう表現をしている。「小野ちゃんはヤリ手になりそうだねえ」とか言われるが、全くそういうタイプではない。

 

好きなことや興味があることだけを仕事に結びつけることには賛否両論あるだろうし、正直、好きなことを仕事にして稼げるとも、稼ぎたいとも思っていない。そもそも、仕事を中心に人生を考えなくてもいいのではないか。要するに生計が立てられればいい。

(「生計が立てられる」とは、酒場に通えて、好きな仲間と十分に楽しめて、好きな人と良い時間を過ごせて、いろんな場所に行けるだけのお金があるという状態だ。そうであってはじめて、人生に価値が現れはじめると思うから。そうでない人生に魅力は感じない。)

 

お金を稼ぐことと、自分の人生を満たすこと。

この2つをどうバランスとってやっていくか。「ワークライフバランス」ってやつだ。

昨今大事だと言われていることだが、自分の人生を満たしながらお金を稼げたら一番良いと思っている。難しいが。

 

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最近、就活がおもしろい。

エージェントを使ったいわゆる「転職活動」みたいなものもするし、Wantedly(懐かしい)を使って企業の人とカジュアルに話したりもしているんだが、やっぱりおもしろい。

 

新卒で就活をしている時よりも、社会人3年間を経た自分だからこその芯があったり、企業側からの評価を直に感じたり、結局は「この人と働きたいな」って思えるのが会社選びに繋がったり。とにかく、前よりも楽しみながら就活をしている感覚がある。

 

ただ、やはり、ちょっと、難しい。私の感覚的な考えが、相手に伝われることもあるし、全然分かり合えてないなと思うこともある。わかりあうことの重要度はさておき、難しいとも感じる。

私の仕事に対する感覚が、どうしても「具体的な仕事」まで距離があるからかもしれない。

 

大人たちにそれを話すとき、私が欲しい回答が返ってくることはあまりない。たぶん、私が少し変なんだろう。質問の意図を伝えるのが難しいのだ。面倒な私はそこをいつも端折ってしまう。わからないのだ。

 

 

「3年間現職をやっていましたが、将来は自分で仕事をやっていきたいという思いが強くなり、退職を考えています。次のキャリアでは、自分で仕事が回せるような力をつけられるような職選びをしたいと思っています!」と言うと、だいたい、営業職とか、人材系の企業の求人を薦められる。確かに力はついて、生存能力は高くなりそうだが、これが正解とはなかなか思えないのが現状だ。結局バイト感覚で仕事をすることになりそうな気がしている。

 

では「将来飲食を通じて人の繋がりが生まれるような場所を作りたいと思っています。次のキャリアでは、そのために自分が経験を積めるようなことをしたいです!」と言うと、飲食業界で店舗スタッフをやってみたら?とか、経営コンサル、飲食マーケなどを薦められる。これは実践的であり自分の将来を考えて必要なスキルが身につきそうだ。企業側が「キャリア上の『踏み台』でいいよ」と言ってくれる限りは。

 

一方、「人の役に立ちたいという気持ちから現職に就き、その前の大学時代では海外ボランティアやNPOスタッフなどをやっていました」という経歴を伝えると、医療法人とかNPOからも声がかかる。社会課題に対する打ち手をそれぞれ持っていて、金銭的な利益ではなく目指す社会のために働く人たちはカッコいいと思うし、自分の価値観には親和性が高い。ただ、興味の範囲が広すぎる私には、分野の選定が難しいと感じたりした。

 

その他、自分の職歴や学歴だけを載せていると、ガツガツ系のベンチャーから声がかかったり、国際貿易を主の事業とするゴリゴリな会社からオファーが来たりする。稼げるだろうし、それはそれでおもしろいとは思うが、長く続けたいとは思わないだろう。

 

 

そんなこんなで、いろんな話を聞いて面白がりつつ、悩みつつ、答えのない問いにどう納得感を持った答えを出すかということを悩んでいる。それぞれの人生を比較検討したところで、その決め手は自分の中にしかないのだから、これは考えなきゃいけない。ただ少し疲れるのだ。

 

いっそ、海外に行って、1年くらい本場のパブで働こうかとも思う。

自分の好きな場所で過ごして、そしたらまた何かおもしろい価値観が生まれるかもしれない。

今のところ、大肯定してくれたのはスナックのママだけだ。

大胆な決断を絶賛してくれる人は、たいてい大胆な人生を送ってたりして、好きだ。

 

慶應商学部から海上自衛隊海上自衛隊から海外のパブなんて、やはり頭がおかしいのだろうか。変なんだろうか。もう25歳なのだし、落ち着いた職に就いて、結婚して、子供を産んで、という人生を送る方が、結局は自分の幸せになるのだろうか。いつか自分の人生がとんでもない失敗だと気付くのだろうか。(そしたら「しくじり先生」に応募してテレビ出演でもしちゃおうか!)

 

退職は3月末だから、しばらくゆっくり、ぼーっと考えて、結論を出すつもりでいる。

今のところ私にも、どうなるか全く検討がつかない。

 

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私は、非常に内向的で、じっくり考える傾向がある。

誤解されて、具体性もロジックもない人間だと言われてしまうこともあるし、結論だけを聞いてすごく楽観的だと思われることもある。

 

しかし最近救われた言葉がある。「『静かな人』の戦略書」という本の一説だ。

「内向型の人はアイデアや野心を持っていない訳ではなく、夢を追うのにいちいち騒がないだけだ」

 

 

仕事を退職時までほぼ休みにしてくれた上司には本当に感謝している。

毎日ぼーっと、人と話しながら、いろいろと考えて、静かに、決めるんだろう。

そしてそれに疲れた時、大好きな友達には「飲もうぜ!」と連絡するんだろう。

どうか呆れず、盃を交わしてほしい。

 

そんな、感じです。

 

小野

 

 

P.S. おすすめの仕事あったら、教えてください。

2021927 「コビーの逆を行く」

島から出られない生活が長引いているけど、もはや職場から離れられれば満足できてしまっている。

 

島で良かった。島じゃなかったら監禁されていたかもしれない。

 

いや幸福のハードル下がりすぎだろ!

 

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夏が終わって食欲が戻ってきたことと、運動量が減っていること、恋をしていないこと。この三点により、私の体重は着々と増加している。

 

決して!私が土日に昼からビールを飲んでしまうことや、夜食に鶏の照り焼き丼作っちゃうこと、トッポを箱買いして2週間で食べきっちゃうこと、ゆめタウンのパン屋が想像以上に美味しいと気付いてしまったことは!関係ないのだ!!!

 

………このままだと自分のこと嫌いになりそうなのでもうやめます。

 

3ヶ月後の年末年始に帰省して、家族や友達と飲み明かす時のために。体重の空き容量を増やしておこう。そうしよう。お前に誓うよ。

 

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飄々として生きていきたいよ。

 

私はいま呪いにかかっている。けどそんなことはどこ吹く風。どうだっていいよ。

 

ジャックスパロウになりたい。

海とお酒と女を愛する自由人になりたい。

海賊になりたいよ。うう。

 

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まあ、そう言いつつも。ね。

 

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キラキラ系アクティビストとか、恋愛至上主義的アツアツカップルとか、最近めっちゃタイムラインを占領してくるんだけど、なんなんだ?

 

私はいま、バンクシーの鼠に憧れているのかもしれない。やばいね。

 

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最近、地図が好きで、地図帳を買った。

るるぶだけじゃ、飽き足りず。

 

高校生の頃に地理の先生にやれって言われた、勉強したことを地図帳に書き足していくあの作業が、すごく好きだった。

 

あれをもう一度やりたくなった。

 

Googleマップ見てたら1時間過ぎてたとかよくあるし、行ったところ記録できるアプリとかもよく使うけど、やっぱ地図帳には敵わんな!

 

自分が行って気付いたこととか、本やテレビに教わったこととか、物語の世界と繋がっているところを色分けした付箋でたくさん貼った。おかげで、徒然なる土曜日を過ごさずに済んだ。

 

地図帳に直接書き込むなら油性マーカーの一番細いやつって、ずっと前から知ってるんだ。

 

海図も悪くはないけど、まだあまり慣れない。まだ、好きだけど嫌い、みたいな関係。

 

はやく旅に出たい。外に!!!

 

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自分のやりたいことがわかっている人間は、それだけでも幸福なのかもしれない。一方でそれは呪いのようかものなのかもしれない。本当はどちらでもないのかもしれない。

 

ねえ、私の武器って何なの?

武器をもって何を目指したいの?

やっぱ海賊王しか思い浮かばないんだけど…。

 

友だちが、「私はモブキャラになりたい」って言っていて、なんだそれって思った。主役とかモブキャラの話なんか誰がしてるんだ?

 

でも私は、私の人生を物語として完成させたいと思っている節がある。そういった意味で、主人公になりたがってるのかもしれない。でも、モブキャラにもモブキャラの人生があるんじゃないか???お前はお前の人生を勝手に生きてくれ、そう願ってるよおじさんは。

 

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自分に呪いをかけたら、解けなくなってしまった!みたいなことばかり。

 

セルフブランディングで自分の首絞めてない?それな。やめときゃいいのに。

 

でもその時やめてたら、何も学んでないから、せめてこの呪いは授業料ってことにしよう。奨学金まみれで破産しそうだよ、まったく!

 

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そういえばさ、新生活を始めて半年になるらしいよ。もう「新」じゃないね!すっかりただの「生活」になってしまったわけだ。

 

まったく、慣れとは嫌になってしまうね。退屈だよ。生活は飽きる。疲れる。嫌になる。

 

まあ、またあと半年したらまた新生活になる予定だし、転勤生活も悪くないね。

 

島暮らしも、悪くはないよ。

 

朝起きて「今日は晴れてるから電車でみなとみらいまで行って映画でも観てこようかな〜」と思うところが、「晴れてるし山でも登るか」に変わるけど、そんなもんだよ。

 

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そういえばさ、最近ちょっと腹が立ったんだ。

 

よろしくないね。よろしくないからこの話はしない。けど、最近アンガーマネジメントの必要性をようやく少しだけ理解したよ。

 

今まではなぜ職場で1時間のアンガーマネジメント講習とかやってるのか、全く理解できなかった。というか怒りという感情そのものを理解するのが少し難しいことがあった。

 

周りが激おこプンプン丸な中、「やばいやばいなんかこれ怒ってないと浮くやつだ!けどみんな何に怒ってるんだ…」ということがしばしばあった(大丈夫かこれ??)。

 

なのでちょっと最近プチおこになるのは、良い傾向だとも考えられるかもしれない。

 

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そろそろ寝たいから、寝る!

 

20210710「ビールとトッポと女の子」

 

ビールとトッポと女の子、これだけあれば生きていける。

土日のことだけ考えていれば、平日は自動的に終わっていく。

どんなに忙しくて、暇でも、一日は等しく24時間。

あれ、人生ってこんな簡単だったっけ。

 

社会人になって、4か月目。

まあ、社会人といってもかなり特殊な部類に分けられる社会人だという自覚はある。

そこそこ楽に生きているのは、自らのアイデンティティが確立された現状があるからかもしれない。甘えかな。わからないけど。

 

毎日忙しいことには忙しいんだけど、変な隙間時間にいろんなことを考える。

 

たとえば、仕事との付き合い方とか、大人の在り方とか、社会人としての責任とか、職場の人間関係とか、大学生と社会人の違いとか、人生の築き方とか、暮らし方・住み方とか、これから何を大切に生きていきたいかとか。

 

家族のこと、友達のこと、恋愛のこと、いろいろ考える。

 

とにかく、人生をロングスパンで見るようになった。

「生活」をしていかなければならない、ね。

 

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新しい出会いが多くて、しかも今までとは違う人種の人たちを知っていく。

だから、なんだか変な感じがする。

 

自分を市場に出してみるとこんな感じなのか~、という感じ。

良くも悪くも、自分の現在の市場価値はこんなものなのか。はう。

 

バイトとかインターンしてた頃から、仕事はずっと省エネモードでやってきたけど、

定職に就いてからもあまり変わってない。

最低限うまくやりすごしている。水曜日くらいから完全に惰力運転。

 

バイトしながら「よし今日も7000円ゲット~」と思ってたのと同じ感じで、

「よしあと72時間ここにいれば華金~~~」みたいな気分でいる。

 

だから辞めたいとは思わない、早く海外勤務したいな~。

もう少し休みの日があれば、文句なしなんだけどな。

 

あんまり模範的な社会人一年生じゃないかもしれない、

つまり、自己啓発コーナーにある「社会人一年目の教科書」的な本を読んだら、

私みたいな人間はクズだと思うし、

同期と比べても、私しょーもないなあという気になってくる。

 

うーん、なんだかな。まあいっか。

 

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ここ数週間は、

ビールの代わりにプロテインを飲んで、

トッポの代わりにサラダチキンと千切りキャベツを食べて、

女の子は自粛中です。

 

好きな人、ほしいな~。

年をとるにつれて、人を好きになることが難しくなっていく気がするね。

まだ22歳なんだけどね。

 

告白とかされても、理詰めで返すサイコパスになりそう。

それはさすがに申し訳ないから、いい感じにスルー。

 

私には何も理解できない。人の心というものが!笑

 

あーーー、早く素敵な人に出会って映画のような恋愛がしてえよ!

プロポーズして一緒にゼクシィ読みてえよ!

理屈じゃない、心臓がグッと掴まれて、息ができなくなって、こめかみから力が抜けていって、つい泣いてしまいそうになるあの瞬間が!ほしいよ。

 

あれだけ好き好きと騒いでいた、1年くらい前の先生、元気かな。

もういつからか連絡をとっていない、私があまりスマホを見ていないせいだけど。

 

弟に彼女ができて、なんかアホみたいに毎日鼻の下伸ばしてて、羨ましい。

私も鼻の下を伸ばしたい。びよびよに伸ばしたい。

 

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もうすぐ帰省するのでお話しませんか。

 

 

20210111「自分の葬式でお坊さんが言ってたら嬉しいこと」

昨日はnoteに意気揚々と2021年について書いていた。

でも今日は、ちょっと暗いテイストで生涯について書いてみる。

希望が特に見えていない時は、こっちのブログの方に来てしまう。

これもまた、アイデンティティの統合失敗に寄与してるのかなあ。

 

最近、とても素敵な人と話す機会があった。

心が綺麗なピュアな人だったから、すぐに好きになったけど、

その分自分のことを嫌いになって帰ってきた。

 

これから社会人になることとか、もうすぐ大学生活という猶予期間を終えることとか、

そういうことを考えると、漠然と「今ここ」で何をしていいかわからなくなる。

 

行動し前進することを善と考える一方で、

そんなのは意味がないと言う呪われた自分がいる。それは嘘ではない。

 

ーーー

少し話が逸れるが、書きたいことを書く。

 

批判的な精神を培ってしまったお陰で、

「それは嘘だ」「そんなことは無意味だ」という思考に囚われてしまうことはよくある。

 

この批判的精神の起源を辿れば、

子供ながらに「法なんてクソだ!嘘付きだ!」と思った瞬間に行きつく。

かなり危険思想だ。だが本当にそう思った時があった。

こんなことをガキの頃から考えていたのは、自分の中の同性愛の素質に気が付き、

自分の性質が社会に合わないものであることに子供ながらに気付かされたからだ。

でも誰かしら、何かしらのタイミングで同じようなことを考えることはあるんじゃないかと思う。

 

「法や教科書が嘘をついているか、或いは自分が完全におかしい宇宙人であるか」

その二択を吟味する日々を送ってきた。中学生としては、間違いなく変な奴だ。

本を読んだり、学んでいくことによって、さらに色々考えた。

まだどちらの可能性もあると思っているし、一方でどちらの可能性もないと思った。

必要以上に考えたところで、幸せな結果は得られないのだと見切りをつけた。

 

何かを信じている人のことを、盲目的で思考していないと決めつける考えは嫌いだ。

 

何かを信じるのは、素敵だと思う。

その何かは、神とかでもいいし、何らかのイデオロギーとか、なんとか主義とか、

別になんだって構いやしない。素敵だと思う。

もちろん、その対象には危険性をはらむものもある。

だが信じるという行為においては、人間っぽさを感じずにはいられない。

いや、アスファルトの上を歩く蟻が何かを信じているとするならば、

それも素敵だなと思ってしまうから、人間っぽいというのは違うかもしれない。

蟻が大好きな女王蟻への愛を信じ、一喜一憂していたら可愛いなあ、って感じ。(?)

 

それが素敵だと思うのは、秩序だっているからかもしれない。

何も信じない混沌より、信じている何かのために秩序だっている方が美的だと感じる。

矛盾していることは、混沌ではない。

 

勿論状態に対してそう思っているだけで、危険な宗教などを擁護する訳ではない。

ただこの「美的だ」と思う感情も、現在の世界に数えきれないほど存在している宗教や思想の影響を大きく受けていると思う。

 

なんにせよ、自分の足元も見えない感じではあるが、こんな私自身でも信じているものがある。

経験則から成ったものだが、その経験にピュアなものなど無いに等しい。21年間考えたブラックボックスから出てきた、今ここで考えることだ。

 

「愛」という言葉にするのが良いのかと思う。(開祖になるつもりはないから真面目には聞かないでほしい!!!)

 

ここで愛というのは、恋人とか家族とか友達とか、そういった関係性に依存するものではない。「アイツが泣いてたら、俺の胸が痛い」というやつだ。その痛みを言い換えたものを、愛と定義する。(もう一度言うが、マジで真面目には聞かないでほしい)

 

この痛みから逃れるには、かつての誰かさんたちがそうしてきたように、解脱を目指すとか、神に祈るとか、もしくは自分たちで痛みの根源を撲滅するために頑張る必要がある。

 

 

この表裏一体の「愛」は、もしかしたらただの虚構で、我々の遺伝子プログラムから派生した末端の中の末端の、何の意味もないものなのかもしれない。

 

一方で、種の保存なんて、我々が「ただ愛する者のため、そして愛する者が愛する者のため、その愛する者が愛する者が愛する者のため………」と行動するよう仕向けてきた「愛という呪い」による、ただの手段でしかないのかもしれない。でもこの「種の保存なんて、そんな馬鹿な~~」と思いたくなってしまう感情は、別の何かを信じる多くの現代人に共通するものなのではないだろうか?

 

そしてまた手段や目的という概念も、本当に取るに足らないことだと思う。

 

でもまあ、今ここで「痛い」と感じるのは嫌だから、何とかこれを消し去るために、(いや、愛のために!!!)何とか手を打ちたいと考えるわけだよ。

 

ここで「手を打とう」「戦おう」的な考えが出てくるのも、マッチョでロマンチックな武士道って感じで、それもまた色々な色々の影響を受けているのでウケる。ほんとにそう思う。はーーー自由意思ってなんやねん。

 

愛のために生きるには、いくつか方法があると思う。

 

だが誰かのために自分の心が休まらず「痛い」と感じるからと言って、

その誰かを、間違っても殺したりしてはいけない。それは、絶対に痛いはずだ。

きっとめちゃくちゃ痛いはずだ。考えただけで痛い。うわーん!

じゃあ逆に、その誰かを泣かせるような存在を悪として殺す???まあそうやって歴史は動いてきたかもしれないね。でもそれは正しいことではなかったと、歴史は言っている。

 

(ここまで書いてきて、少し不安になってきた。

古代ギリシアの哲学者になったつもりは全くないが、友達いなくなりそうだな…)

 

なるべく、できるだけ、平和で人々に受け入れられやすいものを選ぶのが賢明だ。

なぜならそれが賢明だからだ!はあ。なんだか疲れてきた。

 

でもまあ、なんだかんだ結局、最終的に落ち着くのは、

「世界平和!」とか、「誰もが幸せを感じる世界!」とかそんなところ。

世界平和を願う人、みんな同志!はい!

 

少し前までこれはシンプルで簡単なことなんじゃないかと思っていた。子供だったのかもしれないし、今が批判的すぎるのかもしれない。

 

自分の好きな人と、その好きな人が好きな人のためになることをしていけば良いのではないでしょうか。(敵の敵は味方、という論理には触れないでおきます)

とりあえず、痛みは感じずにいられるではないでしょうか。とにかく、痛いのは嫌だ。

 

ちょっとこれ以上話を進めるのは

自分にとって危険な気がしてきたので、やめます。

 

でも、今までの自分の行動は、

こんな考えがぐつぐつ煮詰まった結果のことなんだと理解されたい。

 

ーーー

 

そんな感じの日々だから、

私という一個体が死ぬのも生きるのもそんなに大差ない気はするし、

死んだとしても、他人の満足のために自分の葬式が開かれることなんて

そんなのって最悪だと思ってしまう。

自分が死んだ時、周りの人に泣いてもらいたい派の人は多いと思うが、私にはあまりピンと来ない。

 

でも今日は、それはそれとして、

自分が死んだあと語られる物語が、どんなものであれば面白いかを考えている。

死後なので自分がそれを耳にすることはないから、

結局それもどうでもいいことなんだけど、暇潰しだと割り切って。

葬式じゃなくてもいいし、お坊さんじゃなくてもいい。

誰か私のことを知る人が、私のことを思い出すときに想起されたら、ちょっと楽しい。

さっきまでとは打って変わって、世俗的な話をする。

 

ーーー

 

「愛を与え、愛に与えられた人間でした」

 

そんな始まりがいいね!

 

「故人は、若い頃から当たり前に囚われることなく、

自分の意志に耳を傾け、進むべき道を決め、

着実に、しかし素晴らしいキャリアを積んでいきました。」

 

やっぱ最初はキャリア至上主義でいく。

 

「厳しく困難な状況をものともせず、

自分の責務を全うするために一生懸命、ひたむきに頑張りました。

楽観的ともいえる大胆さで、しかし着実さをもって仕事をこなし、

そんなこんなで若々しいモテモテ人間になりました。」

 

急に動物感出てくるな。でもモテたいよ。

 

「ある時故人は、とてもとても美しく聡明な人と出会いました。

生きたいと思わせてくれるような人でした。」

 

まーーーじで出会いてえ。会えると思ってるのはドラマの見過ぎ?

でも、パパとママは幸せそうだから、信じたくもなる。

 

「故人とその恋人は、二人のために、

そして二人の家族や周囲の愛のために働きました。」

 

「故人は同時に、人との良き縁を大切にしました。

決して多くはありませんでしたが、立派な友人に恵まれました。

彼らは故人を成長させてくれる、尊敬に値する人ばかりでした。」

 

そういえば、私の周りの人は尊敬できる人ばかりだな。

尊敬していない相手とは無意識的に縁を切ってしまっているのかもしれない…。

 

愛する人と、尊敬する友人のため、

故人は学びを止めませんでした。」

 

「故人は、そのキャリアに固執することはありませんでした。

元々の夢であった『世界のどっかに絶対なくならない学校を創ること』を

愛する人や友人と実現するため、人生の財産、知識を傾けました。」

 

これは鍵だな。成し遂げたいこと。

 

「自分の持ちうるものを捧げたあとは、海の近くに小さな家を買いました。

大切な学校は、信頼できる人に渡すことにしました。

そこで愛する人と、仲良く静かに暮らし、たまに顔を見せる孫と遊びました。」

 

愛する人が隣で年をとるのを目にしながら、

何も疑わず、何にも反抗せず、ただただアホみたいに幸せを感じました。

死が二人を分かつまで、まじでアホみたいに幸せを感じ続けました。」

 

「故人はいま、亡き人となりましたが、

生前はまじでアホみたいに幸せそうで、なんつーか、そんな感じでした。」

 

ーーー

ここまで書いて、まじでなんてアホな文章のために時間を費やしてしまったのかと後悔してきた。

 

暇をもてあましすぎている。

 

ごめんなさい。

 

20200731「自己開示と怠惰」 

小学4年生の時の、学校の保護者面談で、

「娘さんは宇宙人のようですね」と、言われた。

 

その先生が嫌いだったのもあるけど、

なんかすごく腹が立って、同時に悲しかった。

 

こんな感じで、もうかれこれ10年以上、「わかってもらえない」という悲しさと付き合ってきた。

 

 

自分でもまだわかりきっていないのだが、

「感受性が豊かで、人の喜怒哀楽を自分ごとのように感じることができる」

と言われたこともあるし、一方で、

「何を考えているのか全く分からない、怖い」

と言われたこともある。

 

 

これ以上ないくらいに誰かに愛着を覚えたり、

死んでしまっても構わないくらい誰かを助けたいという思いがある一方で、

目の前の人がどんなことをしていようが、何を好きだろうが、

そんなことは構いやしないという冷たい態度をとってしまうことがある。

 

ちなみに、好きな人には意地悪をしたくなってしまうタイプだった。

 

 

ーーー

 

「自己開示に課題がある」というのは、大学一年生で真っ先に先輩に指摘された。

当時はそれがなぜ課題かよくわからなかったけど、

段々と理解するようにはなってきたと思う。

 

 

いつからだろうと振り返ると、なかなか難しい。

外部要因もあるし、元々の性格的なこともあると思う。

 

外部要因というと、「自分が周りと違うことに気が付いた時」なんかが当てはまる。

例えば、自分って周りと同じ「女の子」じゃないなって気付いた時とか。

 

そのへんの違和感は、やたら小さい時からあった。

特に何かを意識していた訳ではないんだけど、

周りは私のことを「キャラ付けしている」という風な目で見たりしたこともあった。

「でたー!おかまキャラ!」みたいな。なんやねんそれって感じだけども。

 

周りと同じような恰好するの嫌だなあとか、思った。

でも目立つことで「キャラ付けしている」とか言われるから、

仕返しに周りのことを「でたー!量産型!お前ら個性なくてつまんな!」

みたいに(心の中で)思うようにして自分を守ったりした。

 

でも結局、人をどうこう言うのも、言われるのも馬鹿馬鹿しくて、

自分は人に興味をもたなくなっていった。

気にしなくなっていった。気にしても仕方ないなと。

 

この辺は、ちょっと環境のせいにしたくなっちゃうな。

 

ーーー

 

次に、性格とかの内部的なこと。

 

私はめちゃくちゃ頑固だと思う。

そして完璧主義だと思う。

自分の言った約束が守れないのは死ぬほどダサい。

だから死ぬ前に逃げてしまう。

そうやって逃げたのが大学3年生なのは、ご存じの通り。

 

自分のブランディングをちゃんとしたいんだな。

信頼できる奴だと思われたいし、完璧だと思われたい。

 

でも、もう自分のこと完璧じゃないってわかってくれる人がいると、

不思議とめちゃくちゃ安心しちゃうんだよね。

 

あーーーーーもう頑張らなくていいのか、って。

 

自分の失敗を見ている人は、これだから良い友人になれるわけだ。

 むむむ。

 

20201108「ママが51歳って、え、嘘でしょ」

絶対に許されないようなことをしまった時、

もはや謝罪することすらも許されないようなことをしてしまった時、

もう選択肢なんて、残されていない。

 

選択するどころか、何もできない。

唯一できることは、「何もしない」ことになる。

 

せめて、不快にさせないように、

相手の視界に一度として入り込まないことが重要だ。

でもこれも多分、自分を守っているだけだ。

 

百パーセント、百二十パーセントくらい、私が悪い。

私だけが悪かった。

 

私は特に懺悔する対象を持ち合わせていない。

それももう、仕方のないことだ。

どうしようもない。

もう、本当に、どうしようもない。

相手の幸せを願うことなんて、そんな最低なことはしない。

そんなことは、無責任な人がすることだ。

 

ーーー

 

出家したい。或いは死にたい。

でもそれも、弱い奴がすることだ。

生きて、幸せになる意志を持つべきだ。

少なくとも私は、今ここで、そう思う。

 

ーーー

 

私は本当に、どうしちゃったんだろう。

しょうもないことを、こうやって深く考えてなんていないで、

さっさと流行りの映画を観て、

音楽を聴いて、モノを手に入れて、ハッピーなライフを送ればいいのに。

本当に、馬鹿で、鈍間だなあ。

マジで、麻薬だな、人生。

 

ーーー

 

早くハッピーライフを送りたいので、

とりあえず彼女とかが欲しいのですが、

人間関係を築くって、マジで面倒だよな。

戦いみたいなもんだよな。基本しんどいし。

戦わなきゃ勝てない、みたいなところあるよな。

負けたくないよう。

 

最高にカッコいい自分になって、

最高にカワイイ彼女をつくり、

最高に楽しい生活を送るまでは、

自分のこと肯定できない気がする。

 

でも、たぶん、一生できない気がする。

老いる。Oil.

 

老いたくないよーーー。この先の人生上り坂であってくれ。

頼むから!!!

 

最高のハッピーライフ、待っていてくれ!!!

頑張るから!!!うえーーーん。

 

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傷つきたくないから何もしない、

良いと思う。

 

でも僕はそうなりたくない。

 

もう十分幸せなはずだが、

まだ、幸せになれると、思っている。

 

それは、まだまだガキだからなので、

どうか見逃してください。

 

20200706 「サラダ記念日」

今朝から具合が悪い。

 

ここ三日間くらい、何もしたくない気分で、少しふさぎこんでいます。

気を抜くとゲロっちゃいそうだ~、と思っています。

 

知り合いにお金を貸してほしいと頼まれたり、

どうしようもないことで人を泣かせてしまったり、

好きな人から「好きな人でもできた?」って訊かれたり、

昨日お酒を飲みすぎたせいか、お腹が全く空かないわけです。

 

 

おれがお前を嫌うのは、おれにプライバシーをくれないからです。

「もっと話してくれ」と言ってくれる人、ごめん。

いちいち返信するのに数時間かかって、ごめん!まあ気にしていないだろうけど。

 

明日までにやらなくてはならないことがたくさんある。

それらを終わらせるのと、上手な仮病を思いつくのと、どっちが早いかしら。

そんなことを考えながら、お風呂の支度をしている。

仮病を使ってしまうのは、持病みたいなもんなので、すみません。

 

でもまあ、結局、胃が痛くなりながら全部やるか、

本当に無理そうならスッと姿を消してしまうんだと思います。

 

 

最近、本屋に行くと体調が悪くなります。

聞いてもないのに全方面から話しかけてこられる感覚が、しませんか。

情報量多すぎるんだなあ。

 

今日は何の日だったか知っていますか。

サラダ記念日だそうです。

そういう小さな幸せをさ、感じられなくなる前に、

前に、前にどうすればいいんだろうね?たぶんそれは抗えないことだよ。

 

優しくされるとつらくなりますよね。

使い古された言葉ではありますが。

 

 

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ちょっといろいろと、混乱しています。

 

特に今年は私にとっては面白い年で、

今まで知らなかった経験をして、価値観がアップデートされた年です。

まだ上半期終わったばかりですが、そんな感じです。

 

なんだかんだ、自分を知るのが一番怖いよな。

 

そして自分のことを知らないのに、

どうして自分のことを他人に説明できるだろうかと考えては、

また無言を貫いてしまうわけです。コミュ障に拍車かかってんな!おい!

 

論理も感情も大事にするから、苦しいんだよ、なんて、

ばかやろう、こっちは人間だ!ただの、人間だ。

 

「21歳からの反抗期」って本でも出そうかな。嘘です。

 

「教養のための」って書いてある本、全部全部だいきらいだ!

 

過激派でごめんなさい、重ねてお詫び申し上げます。

だいきらいと思う程の関心も特にありません、ほんの出来心です。

 

だってさ、誰のための教養なのかわからないんだもん。

なに?脅迫?って感じしません?ああ、そうですか、しませんか、すみません。

 

混乱。

 

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そんな反抗期だから、

人が書いた映画のレビューを見るのも好きじゃない。

 

たぶんもうすべてが気にくわない時期なんだろうな、今!

 

人に耳を貸さず、かといって自分の意見も表明せず、

一番タチの悪い輩だ!!!

 

正解のない山奥に入って一生閉じこもりたい。

 

私がいま唯一真実だと思えるのは、

いまこの瞬間痛くて仕方ない、まさにこの感覚です。

それ以外はすべて、取るに足らないことのように思えます。

 

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好きな人から連絡きたのかと思ったら、

金を貸してくれと言う人からでした。ぜったい貸さないけど。

 

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実は私もいい加減うんざりしてるんだよね、

このさ、なんていうの?

「なんで私には身長が180㎝ないんですか!!!」

みたいなことでいつもキレちゃうんだよね。

 

でもこれって立派な不条理だよ!

 

ね。

 

満月が綺麗なことを理由に、

毎月ちゃっかり連絡しちゃって、ごめん。

ありがとう満月。

毎月やってきてくれる安心感。

たぶんあと数回やってきたら絶望感に変わると思う。

 

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最近気付いたんだよね!

 

好きな人に告白することよりも、

自分のウォークマンのプレイリストを見られる方がよっぽど恥ずかしい。

 

そんな人に自己開示を求めないでくれ~~~。

 

少し前、

実はちょこちょこ短歌を詠んでたんですが、

字数制限が息苦しくて、結局こうやってだらだらと

思ったことを連ねているという次第です。どうもすみません。

 

 

 

よーし!あしたも出勤!虚構虚構!